ええい、アップしてしまえー。
どれだけ読み返したってわからんモンはわからんのだ。 というわけで前回のより自信ないです、はい。 何箇所か物凄い見当違いな解釈をしているような気がして仕方ないところがあるんですが、間違いが見つかったら追々こっそりと修正します(こっそりかよ)。 本当に、ネタぐらいの気持ちで読んで下さいね・・・。 ⇒怪訳その1 ―ディナモでの道はどうやって切り開ていますか? 大変な努力をしているのでしょうか。 「そんなに難しいことじゃないよ。ここでは常に高いレベルが求められる。ディナモ・キエフにはいつも熾烈な競争があるから。1、2年レンタルに出される選手もいるし、売られてしまう選手もしばしばいる。大金を払って獲得した選手は確かに常にスタメンでプレーすべきかもしれない。でも僕は彼らと同等にプレーするために自分の力を示そうとしている。それを続けていれば良い結果に繋がることもある。これは僕にとってとても重要なことなんだ。」 ―あなたにも好不調の波があります。少し不調が続いた時期がありましたね・・・ 「そうだね、チームに召集されること自体が少なくなってしまった時があった。何か問題があったというわけじゃなかったんだけど。若いうちは多感でメンタル面の波もあるし、これといった特定の原因がなくてもパフォーマンスが落ちることもあるんじゃないかな。」 ―ディナモのトレーニングは厳しいですか? 「基本的には5、6年前とやっていることは同じだね。それを続けることには慣れているし何も問題は無いよ。ひとつだけ言われ続けているのは筋肉を強くしろということ。トレーニング場に着いたらすぐにシミュレーターに行くんだ。新しいトレーナーのオレグ・ラズニーと一緒にね。彼は現役時代ディナモの選手だったんだ。僕はそういった職業が好きだというわけではないけど彼らは必要な存在だ。トレーニングにはインパクトも必要。やらなきゃいけないことは本当にたくさんある。 僕が強く望んでいることは、今シーズンのスタメンに定着すること。チャンピョンズ・リーグに出場して、国内リーグのタイトルを奪回して、それにカップタイトルももう一度欲しいね。知っておいて欲しいんだけど、シャフタールとのウクライナ・スーパーカップの試合はワールドカップの時よりも不安だったんだ。もちろん得点したことは嬉しかったけどね。あの時、ディナモ・キエフでの5年間こそが僕の原点だということを改めて確信した。」 ―あなたがウクライナ代表のワールドカップメンバーに選ばれたということはいつ知ったんですか? 誰から聞いた? 「イゴール・ミハイロヴィッチから電話をもらったんだ。おめでとうって言ってくれたよ。あれは5月15日で、僕たちはちょうど(U-21の)ヨーロッパ選手権が開催されるポルトガルに向けて出発することろだった。だからとりあえずは落ち着こうと思った。アレクセイ・ミハイリチェンコが言うように、まずはこの大会のみに集中すべきだったしね。」 ―その大会が終わるとあたなはもうひとつの大会に参加しました。ウクライナの初戦のスペイン戦、1点を失い、2点、3点、そして4点を失いました。あなたが交代で出場する準備はあったのですか? 「そんなことはまったく予想してなかった。この試合だけじゃなくて他の試合でもね。でもあの試合はスペインに有利な環境だった。それを言い続けるのは良いことじゃないけどね。あの暑さは極端に堪えたよ。ベンチに座ってるだけでもシャツを脱いでた。ましてやピッチの選手たちは? 言い訳をするわけじゃないけど、彼らはそんな環境の中で何かを成し遂げる為に走ってたんだ。」 ―だけど状況はみんな同じですよね・・・ 「状況は同じ、もちろんそうだ。だけど僕たちはピッチにも慣れていなかった。地面が堅すぎたんだよ。次のサウジ・アラビア戦からはもっとやり易くなった。ライバルというレベルでもなかったし彼らのゴールキーパーにはスキもあった。レブロフのゴール? そうそう、あれは本当にきれいな軌道だったよね。ゴールキーパーが滑ったというのも明らかな事実だけど。最後の5分というところで“出ろ”と言われた時は少し緊張した。だけど恐れはなかったし、これは単なるテストじゃないということも解ってた。実際にプレーしてるのは僕と同じ人間なんだから。」 ―あなたはよくボールに触ってましたね・・・ 「僕は何ができて何ができないかを考えてた。攻撃のことだけじゃなくてね。あの時必要だったのはボールをキープすること、相手を引っ掛けてボールを奪うこと・・・。」 ―それは上手くできた? 「どうにかできたと思うよ。僕の身長を考えてみてよ。190cmだよ。」 ―でもあなたは頻繁に下がってきてディフェンスもこなしてましたね。 「それが必要な時もある。特にああいう試合ではね。」 ―あなたはとてもイライラしていたようですけど、何があったんですか? 「(ファウルの)ホイッスルが鳴った時に相手が手を出してきたらどうする? そう、彼らはそれをやったんだよ。でももしあれが騒ぎにつながっていたら警備員も止められなかっただろうね。でも僕はどうにか抑えた。試合に水を差したくなかったから・・・。」 ―あなたは時々感情をコントロールできなくなることがありますね。ワールドカップの決勝でマテラッツィに報復したジダンのようなことをしたことはありますか? 「あるよ、ディナモ-2でプレーしてた19歳の時にね。シャルコフとの試合だった。彼らは僕に何度もラフなプレーを仕掛けてきたのに審判はホイッスルを吹かなかった。僕は怒って自制心を失ってしまって、相手に跳びかかったんだ! もちろんレッド・カードを貰った。その時思ったんだ。“僕は何をしてるんだ? こんなことをして何になる?”ってね。チームは勝ったけど僕には不快感ばかりが残った。こんなことをしたってチームにとっては何の役にも立たない。暴力に暴力で応えるなんて。アレクセイ・ミハイリチェンコのチームでもそれを思い出してプレーしてたんだ。でも彼はむしろ僕のそういった面を引き出そうとしていた。あれは面白い経験だったな。」 ―そして試合中、汚い言葉は出てきましたか? 「えっと、うん・・・でもそれは普通のことだと思うよ。実際のところ、相手を苦しめれば結果はついてくるわけだしね。」 ―再び少しの間プレーしたチュニジア戦の後のスイス戦は激闘になりましたね。あなたは追加タイムには既にピッチに立っていた。何が求められていたんでしょうか? 「あれには僕も驚いたんだよ。オレグ・ブロヒンが僕を交代で出す時はいつも既に結果が決まった時だけだったから。だけどあの時は僕が試合の流れを変えなくちゃいけなかった。アグレッシブな試合だったけど僕もコンディションは良かったしウォーミングアップは2、3分で十分だった。そして試合終了のホイッスルが鳴った。誰がPKを蹴る? みんなで集まって相談したんだ。そしたらオレグ・ブロヒンが“蹴るか?”と聞いてきた。僕は“蹴ります”と答えた。何故かって? 自信があったからだよ。アンドリー・シェフチェンコが最初に外した時は状況は難しいものになった。だけど僕は“もし僕はここで決めたら流れは絶対にこっちに来る”と思った。U-21のヨーロッパ選手権のオランダ戦の時と同じようなチップキックを蹴ると最初から決めてたんだ。僕が蹴る前にゴールキーパーがサイドに跳んだから僕は真ん中に蹴った。 イタリアではこういうのを“スプーン(クッキアイオ)”って呼ぶんだよ。あとは“パラシュート”とか“カッティング”とか。僕はあれが特に得意ってわけじゃないんだけど、トレーニング中に練習したことはあった。だけど公式戦で蹴ったことは無かったから決まった時は嬉しかった。あんなにレベルの高い試合で決めることができたわけだからね。」 ―イタリアとの準々決勝の前、多くの専門家やファン、選手たちが楽観的な予測をしていました。何故そうなったのでしょうか? 何がイタリアに勝つ決め手になると考えていたんでしょう? 「僕はそんなことは言ってないよ。僕たちにとっては既に解決したことだった。彼らはただ単にこの試合に英雄を求めた。何か確証があったわけじゃない。オレグ・ブロヒンはロッカールームでこんなことを言った。“スイス戦の時と同じようにやろう”とね。だけど早い時間に1点目を取られて僕たちは混乱してしまった。40メートルぐらいからのシュートだったからショックは大きかった。僕もカリニチェンコからのパスをヒールで返したりしてチャンスは作った。まだ1点差だったしまだどうにかなると信じていた。でも2点目を取られた時に“これは僕たちのゲームじゃない”と悟った。完全にね。僕たちはまるで子供のように手の上で転がされていた。そして3点目を入れられてそこで終わった。僕はその時既に交代させられていた。」 ―どんな気持ちでピッチを去りましたか? 「それまで僕は少ししか試合に出場していなかった。スタメンは初めてだったから心配だったよ。試合の前日、シェフチェンコが僕にこう言った。“ヴォロニンが怪我をしてしまった。イタリア戦では恐らく君がスタメンになる。ピッチの上では僕が君を助けられると思う。イタリアのディフェンスのことはよく知っているからね”と。 確かにそうだったかもしれない。でもいくつかの仕事は不可能だった。彼らの寄せは早くて僕たちはボールを持たせてもらえなかった。だけど何度かFKを貰うこともあった。僕たちは結果的にワールド・チャンピョンになったチームと戦ったんだよ! カンナヴァーロが僕のことをマークをしてたんだ。テレビでシェフチェンコが対戦してるのは見ていたけど、実際にピッチ上で対戦してみると思っていたのとは全然違っていた。彼に勝つのはとてもじゃないけど無理だったよ。」 ―もしアンドリー・シェフチェンコのコンディションが完璧だったなら、ウクライナはもっと上に行けたと思いますか? 「うーん、どっちにしろこれぐらいが自然な結果だったんじゃないかな。シェフチェンコのプレーはディフェンダーに邪魔されていただろうしね。それに僕たちのディフェンス力はワールドカップに出場した国の中ではそんなに高い方じゃない。例えばトーニなんかの攻撃をどうすれば止められるのか、経験してみたらわかるよ。」 ―あなたはイタリアが好きなんですよね? 「子供の時から熱狂的なファンだった。イタリアがワールド・チャンピョンになって嬉しいよ。」 ―彼らから学んだことはありますか? 「トッティからは多くのことを学んでいる。例えばボールを捌く技術。彼はいつもワンタッチで素早くフォワードにボールを供給して攻撃の起点になる。これはとても重要な技術。それからPKもね。彼のシュートはピッチの上のパールみたいに素晴らしいんだ。ガットゥーゾの献身的なプレーもハーフバックとして理想的だね。語ろうと思えば全員について語れるよ。」 ―過去の偉大な選手たちから盗みたいことはありますか? 「ペレとかそういう選手たちのこと? 彼らがプレーしていた時は僕は小さすぎたから。僕が最初に衝撃を受けた選手はファン・バステン。ロナウドの最盛期のドリブルもすごかったな。」 (まだちょっと続きます。)
by milenista
| 2006-08-26 00:13
| INTERVIEW
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